映画『モテキ』のレビュー「魅力的なバランス」

映画『モテキ』を観てきました。ネタバレになるかもなので以下続きをどうぞ。
さて、今回は映画オリジナルの脚本という事だったので、思いっきりの期待と多少の不安を抱えながら劇場に向かいました。
結論から書くと、この映画は藤本幸世というモテナイ男の『モテキ』を通して描かれているものの、女性の恋愛観に重きが置かれた映画で、映画の冒頭に出てくる三島由紀夫「愛することにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠に素人である。」という言葉そのままの映画でした。男性は墨さん(リリー・フランキー)と幸世という両極端で正反対な女性観と人生の歩みを持つ2人を軸に対照的に描かれていて、基本的には恋愛に対して分かりやすい男性像のみに絞り込んだ構成。一方女性は4人の女性がストーリーに絡んでくるのですが、基本的に映画『モテキ』は美由紀(長澤まさみ)を中心にしたストーリーなので、他の3人はストーリーのキーパーソンではあるものの、ドラマ『モテキ』の様に個々の細やかな描写はありません。ですのでその辺の描写に不満がある人もいるかと思います。実際に4人をあれだけ全面に押し出しまくって宣伝している訳ですから、理想を言えばキッチリ4人を恋愛に絡めるべきで、その辺が監督の力量だとは思うのですが、それでも、留未子(麻生久美子)には「恋愛とセックス」の本質的な部分を演じさせ、愛(仲里依紗)には「結婚」の本質を語らせています(あと、愛は誰しもが疑問に思う幸世の魅力を「藤本さんみたいな人って、需要あると思います。」と一言で語らせているし、彼女が「結婚」を語る事が「結婚」には全く意識がなかった幸世が「結婚」を口にするシーンに繋がっていると思う)。そして、もっとも幸世との絡みが少ない様に思えるかもしれませんが、素子(真木よう子)には「仕事」の本質を語らせており、『モテキ』の裏テーマである男と仕事に対する価値観を補っていると思います。
個人的にはこの辺の映画『モテキ』の中でのそれぞれの見せ場こそが、幸世という眼鏡を通しながらも『モテキ』の世界観を炙り出しているシーンだと思っています。ですので幸世という人物が主役というよりも、あくまでも幸世は『モテキ』のファクターの一つだと思うし、男性として決して魅力的ではない人間をテーマにしている(幸世を下手に魅力的に描くと物語の本質が変わってくる)以上、映画としてはその他の全体の構図で勝負している訳で、その辺もかなり特異な映画だと思います。どんな男性にでも需要があるというのは世の中のカップルを見ても凄くリアリティがあるし、幸世の事を好きになる側にもキッカケや些細な動機がある訳で、その辺の細かな描写があるからこそ、『モテキ』のストーリーは成立しているのだと思います。幸世みたいな男性に限って島田みたいな親友がいる事、墨さんみたいな関係性の上司先輩がいる事なんて、実社会だとあちらこちらで見かけるし、この辺は非常に巧い設定だなと思います。
もちろん、邦画史上初と言っても過言ではないほど、音楽とリンクする事を打ち出した作品だし、設定や描写のディテールへの拘りには唸らされますし、コメディとしては上々の仕上がりだと思います。その辺は他のブログやレビューでも言及されている通りだと思います。自分が一番笑ったのは麻生久美子が泣きすがるシーンで、このシーンにはもう声を出して笑ってしまって、思わず口元を押さえて堪えるのに精一杯でした。あのシーンって、実際によく見る恋愛のシーンだと思うのですが、それがもうリアル過ぎて愛しさと切なさと笑いが止まりませんでした。あのシーンが個人的には映画『モテキ』のハイライトで、麻生久美子は女性陣の中では特に難しい役柄だと思ったのですが、見事に演じ切ったのではないかと思います。長澤まさみの演技にしてもそうなのですが、こんな事させたいなという演技やアイデアの一枚上を大胆に演じさせていて、ともすれば嫌な女(麻生久美子であれば可哀想な女)に見られてしまいそうな女優を可愛く見せる事が出来たという点が素晴らしかったのではないかと思います。あとドラマ『モテキ』からの流れですが、生々しいキスシーンの撮り方は印象的で、キスシーンへの過剰な力の入れ方は映画『モテキ』でも健在でした。
また、ドラマ『モテキ』の女性キャストは野波麻帆満島ひかり松本莉緒菊地凛子の4人で、演技力の高さや設定の細かさ、外見からいっても丁度良い塩梅があって、そこにリアリティがあったのですが、映画『モテキ』になるとあまりにも豪華なキャスティング過ぎて、キン肉マンで例えるなら超人オリンピックから王位争奪編ぐらいのステップアップだなと感じていて、そういう意味では映画ならではのキャスティングが仇になるかなと思っていたのですが、その辺の問題点も徹底的なリアリティを追求する事で、ファンタジーになりすぎないギリギリのラインを保てていたと思います。4人の女性を幸世と均等に関わらせるのは映画という枠では相当難しい訳で、その辺を諦めた事が逆に功を奏した部分もあって、幸世にとってみれば完璧超人の様な存在のみゆきに焦点を絞り、麻生久美子を最もリアリティのある女性として補わせ、他の2人はあくまでもキーパーソンとして存在させる事で、全体のバランスを壊す事無く、まとめ上げられたのではないかと思います。
あと幸世って、ドラマ『モテキ』では半歩から1歩ぐらいしか前に進めていない非常に駄目な設定なのですが、映画『モテキ』では確実に2歩ほど前に進めていて、ドラマ→映画の流れの中で幸世の成長という意味では答えが出ている訳です。これがあのエンディングに繋がったのだと思うし、あれ以上進めてしまうとそれはもう幸世ではないというか、『モテキ』というストーリーからは逸脱するファンタジーになってしまう可能性もあるし、誰かの『モテキ』へ続くという意味でも、非常に『モテキ』らしいエンディングだったと思います(そしてあのパーティが永遠に終わらないと思わせるエンドロールがある訳ですから)。
このブログ的には「(500)日のサマー」のオマージュである森山未來(とPerfume)の見事過ぎるダンスシーン(最後のカメラワークはBjorkの「It's Oh So Quiet」のPV的)から、UNKLEの「Rabbit in Your Headlight」のPV的なトンネルのシーンについては言及すべきなので一応言及しておきます。女王蜂とN'夙川BOYSが世間的な知名度を持つ事が出来たという点でも意義深い映画。そして見終わった後にカラオケに直行したくなる映画。
映画らしい映画とか一生大事にする映画とかそんな映画ではないですが、魅力的なバランスを持った作品を撮ってくれた大根仁監督に感謝、そして心底楽しませてくれた留未子に大大感謝。
様々な『モテキ』関連の音源が発売される中、このカバーアルバムが最も購買意欲をそそります。

モテキ的音楽のススメ Covers for MTK Lovers盤

モテキ的音楽のススメ Covers for MTK Lovers盤

映画を観た後はコレも読みたくなる。
モテ記 ?映画『モテキ』監督日記?

モテ記 ?映画『モテキ』監督日記?